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Lost Christmas (TV) ロスト・クリスマス

イギリス映画 (2011)

ラリー・ミルズ(Larry Mills)が主役を演じるクリスマスの奇蹟の映画。といえば、ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』を思い浮かべるが、『クリスマス・キャロル』では過去・現在・未来の精が吝嗇家のスクルージの「明日」を変えるだけ。この映画では、記憶喪失のホームレスのような謎の存在が、主人公であるグースが意図的に行った ごく小さな「悪さ」により、派生的に生じてしまった「現実」の中で、複雑に絡み合ったパターンを紐解いていく。そして、その行為により、「現実」そのものが、あるべき姿に戻される。そういう意味では、この映画にSF的な要素は全くないが、『バタフライ・エフェクト』(2004)や『デジャヴ』(2006)に似ているのかもしれない。なおIMDbでは映画扱いだが、国際エミー賞をTV部門で受賞しているので、TV映画とみなした。

映画は、クリスマス・イヴの朝、通称グースと呼ばれる10歳くらいの少年が、1日早くプレゼントの犬を見つけるところから始まる。父と一緒に犬を散歩させようとしていた時、消防士の父に呼び出しがかかる。グースは父を行かせまいと、車のキーを隠すが、父は母の車で出かけ、途中で大型トラックと衝突し2人とも死亡する。そして、ちょうど1年後のクリスマス・イヴ。認知症の祖母と2人で暮らすグースの生活は荒れていた。愛犬を連れ、盗んだ品を故買屋のアパートに持って行くグース。しかし、グースが部屋を出ると犬がいなくなっている。犬を必死で探すグース。一方、イヴの日の午前0時、意味のないことを口ずさむ、記憶喪失の汚い男が出現していた。彼は、犬を必死で捜すグースと出合った時、「彼女は腕輪を失くし、君は腕輪を盗んだ。君は犬を失くした。『パターン』だ」と口にする。初めて見た男が、腕輪を盗んだことを知っている。動転するグース。腕輪は、さっき故買屋に売ったばかりだ。腕輪を取り戻せば 犬も帰ってくると思ったグースは、故買屋に駆けつけるが、もう売ってしまって手元にはない。そこから、腕輪の追跡が始まり、そのプロセスの中で、1年前にグースの父が死んだことにより派生した悲劇が明らかになっていく。最後に、グースが腕輪を持ち主に返した時、記憶喪失の汚い男は意外な話をグースに聞かせ、それはグースの運命をも変えることになる…

ラリー・ミルズは、短髪の似合う とてもハンサムな少年だ。年齢的に言えば、可愛いと表現した方がいいのかもしれない。最近、個性的な顔の子役が多い中で、こうした正統派は貴重な存在だ。役柄とは関係なく、頭が良さそうな顔でもある。残念ながら、他には、TVのシリーズ物に少し顔を出している程度で、会える機会はここだけだ。あらすじは、少し変わった作り方をした。最後まで読んでもらえれば、その意味は分かる。


あらすじ

クリスマス・イヴの朝。どこかでキャンキャン鳴く犬の声で目を覚ましたグース(1枚目の写真)。ひょっとしたらと思いベッドを跳ね起きてキッチンに行くと、両親と祖母が一ヶ所に集まっている。「犬の声がした」(2枚目の写真)。父:「そうか? 外だろう」。振り返るグース(3枚目の写真)。キュートだ。しかし、父の足元から鳴きながら子犬が出てくる。「パパ!」と喜ぶグース。母:「明日まで隠しておくつもりだったけど、あなたに早く会いたかったようね。クリスマス、おめでとう、坊や」。祖母に「何て呼ぶことにする?」と訊かれ、「決めてない」(4枚目の写真)と答える。可愛い子犬に夢中で それどころではない。愛おしそうに撫でてやる(5枚目の写真)。因みに、グースという名は愛称。本名はリチャードだが、誰もそう呼ばない。映画では、後半で、なぜグースと呼ばれるようになったか、本人が説明する下りがある。それによれば、小さな頃家出したことがあり、その時、外が寒くて見つかったことから、父が、「冬から逃げる渡り鳥」にあやかって「グース」付けたとある。しかし、“wild goose (雁)”や、映画『グース』に出てくる “Canada goose (カナダ雁)”は渡り鳥だが、“goose” だけだと家禽のガチョウとなり、飛ぶことはない。“goose” には親しい友達が親愛の情を込めて呼ぶ時の表現の意味もあるので(Urban Dictionary)、むしろこちらが正解で、渡り鳥云々は小さな子供向きの説明だったのかもしれない。
  
  
  
  
  

父が、「一緒に出かけるか?」と声をかける。「いいの?」。「じゃあ、行こう。何か 着て来るんだ」。グースが喜び勇んで着替えてくると、そこに電話が掛かってくる。父は消防士なので、非番の時でも、呼び出しがあるのだ。2階から下りてくる途中でそれを聞き、グースはがっかり(1枚目の写真)。父は、「埋め合わせはするから」とグースに言い、母には「仕事ででかける。キーは知らないか?」と訊く。「いいえ」。「どこにもないんだ」。その時、グースは、クリスマス・ツリーの脇の机の上に、車のキーが載っているのを見つける。周りをこっそり見て(2枚目の写真)、キーを隠す。「グース、キーを見てないか?」。「ううん、パパ」。キーがなければ、父が行かないとでも思ったのか? 結局、父は、母の車で送ってもらうことになる。そして、仲良く話しながら運転している間に、脇見運転状態となり、大型トラックが運転席に激突する(3枚目の写真)。
  
  
  

両親の死から、きっかり1年後のクリスマス・イヴ。午前0時。パブから酔っ払って出てきたフランクという男。外に出て街灯に寄りかかっていると、街灯が一瞬眩しく輝く。何事かと辺りを見回すと、舗石の上に男が一人上を向いて横たわっている。「あんた、大丈夫か?」と声をかけるが返事がないので、近寄って行く。男は目を開けている(写真)。胸の名札には、「やあ、私は、アントニーです」と書いてある。そこで、フランクは「アントニー、どうした?」と呼びかける。男の口にした言葉は意外なものだった。「雪が降ってる」。「マンチェスターじゃ違う。雨だ」。男は、さらに、「猿」「雪が降る」「頭が天使」と口走る。フランクは、酔っ払いのたわ言と思い、「雪猿か? 分かった、用心しよう」と周りを見渡し、視線を戻すと男の姿は消えていた。
  

同じ日の朝、グースがキッチンに入って行くと、祖母が、七面鳥を洗濯機の乾燥器に入れようとしている(1枚目の写真)。痴呆症は、この1年でかなり進行している。「それ、洗濯機だよ、おばあちゃん。オーブンはあっち。それに、今日はイヴだよ」。そう注意されても、乾燥器に入れようとする。「僕がやるから… 明日」(2枚目の写真)。両親がいなくなって、痴呆症の祖母と2人暮らしというのは、あまりに可哀想だ。生活費はどうなっているのだろう? グースは「冷蔵庫に戻しておいて」と言って、出かける。
  
  

愛犬を連れたグースが向かった先は、フランクのアパート。彼は、深夜まで飲んでいたので、グースに叩き起こされ機嫌が悪い。ドアを開けて、犬と一緒だと分かると、「何度言ったら分かる。犬は禁止だ」。「ねえ、ここじゃ凍え死んじゃうよ」。「いいか、俺はひどい二日酔いだ。それに、今、片付けたトコだ」。「マット、すぐ戻るからな」と犬を置いて部屋に入るグース(1枚目の写真)。マットは犬の名前だ。部屋に入ると、中は散乱の極み。「まだ 見つからないの?」(2枚目の写真)。「ない、全部捜した。俺って凶じゃなく、大凶なのかもな」。よほど大事なものなくなったのか? この時点では説明がない。フランクはテーブルに座ると、「いいぞ。見せてみろ」とグースに声をかける。ポケットから携帯を幾つも取り出すグース。グースは盗みの常習犯。フランクは故買屋だ。1年で、ここまで落ちてしまったグース。彼が、携帯の次に取り出したのは、蛇のどくろの形をした金の腕輪だった(3枚目の写真)。「お宝だろ」と言うグースだったが、「めっきだ。どこでも手に入る」と言われてしまう。
  
  
  

その頃、スラムで2人の不良の前に、例の謎の男が現れる。あまり体調が良くない様子に、「大丈夫かよ?」、と不良。「そうは思わん」。「じゃあ、どうしたんだ?」。「分からん。俺は、多分… ここには いない」。「聞いたかミルジー。いないとさ」。「ミルジー、ミル(風車)か… 風車はぐるぐる回る。アイルランドで」。「酔っ払ってんのか?」。自分が何者かも分からない様子に、「財布を見てみなよ」と勧める不良。あわよくば盗もうという魂胆だ。男がポケットを探ると、出てきたのは、マッチ、片方だけの靴下(1枚目の写真)、ポーカーチップ、キャラ・グッズ、そして、金のライター。不良がライターを奪おうとした瞬間、2人の手首に腕時計が巻きつけられ、身動きできなってしまう(2枚目の写真)。不気味がって逃げる不良たち。
  
  

フランクのアパートの場面の続き。フランクは、腕輪とスマートフォン、単なる携帯と偽ブランドの時計の2つに分けた山を指し、「こっちはいいが… こっちは がらくただ」と言う。「どこが?」(1枚目の写真)。「何回 言わせるんだ? 旧式の携帯は需要がない。50ポンドやる。クリスマスだからな」。グースは、別の故買屋に行くと言い出す。「奴は危険だ」と強く止めるフランク。「指図するなよ、フランク。パパじゃないんだ」と反発するグース。「仕方ない、70ポンドやる」。「100だ」。「80」。「100欲しい」。結局、文句を言いながら、フランクは、別の故買屋とは付き合わないことを条件に100ポンド渡してやる。こうした背景には、後から紹介されるが、フランクと、死んだグースの父とが親友だったことが関係している。だから、別れ際にグースは、「明日は何してるの?」と訊く。「なぜだ?」。「良ければ、家に来て。旨いかどうか保証しないけど、七面鳥を焼くから」(2枚目の写真)。「どうかな。やることがある。だが、ありがとよ」。グースがアパートを出ると、愛犬のマットはいなくなっていた
  
  

道路の排水溝の前でインド移民の老婦人が捜し物をしている。通り掛かった女性が、「何か失くされたのですか?」と親切に尋ねる。「腕輪を。今朝 出かけた時に落としたに違いないの。それが落ちていないかと」。そこに、謎の男がやって来て、一緒に排水溝を覗く(1枚目の写真)。「この方が、腕輪を失くしたそうです」。「金の腕輪です。金のコブラ」。男は、一言、「巣穴」とだけ言い。老婦人が「失礼?」と訊くと、男は、「コブラの巣穴。カラスの群れ。ペキニーズの一群」と言葉を並べる。その時、確かに、ペキニーズを4匹連れた女性がやって来る。男の支離滅裂な言葉と、現実とは、関係がありそうだ。男はさらに、「すべては、頭の中に詰まっている」と言い、排水溝に手を突っ込んで探る。出てきたのはハサミ。男は、「ダ・ビンチが発明した」と言って、もう一度捨てる。男が立ち上がるのを助けようと、手を差し伸べる老婦人。ところが手を触れた瞬間、老婦人にまつわる過去の出来事が、男の頭の中に映像として現れる。以後、映像の部分の説明は青字で示す。映像は、①インドで行われた結婚式で、夫からコブラの頭をもつ金の腕輪をはめてもらう妻、②夫婦で、インドからマンチェスターに移住して最初にアパートに入る時の姿、③年をとり、家の裏に2人で造り上げた花で一杯の庭、④夫の死、そして、最後に、⑤誰かが懐中電灯を手に家に忍び込み、コブラの頭をもつ金の腕輪を盗んでいくシーンで終わる。腕輪を盗んだのはグースだった(2枚目の写真)。これは老婦人の記憶ではない。老婦人の過去を第三者的な視点から見たものだ。男は、立ち上がると、「結婚式。結婚式で渡した」と話し始める。老婦人:「どうやって…」。「庭があった。あなたの庭。少年が侵入… 窓から入ってきた。そして、盗った。彼が腕輪を盗った」。「どうやったら 分かるんです?」。「分からない」。男の役割の一端が明らかになる重要な場面だ。
  
  

これまで一度も登場しなかったペンヴィル家。夫が静かに外出しようとしている。それに気付いた妻が、「何してるの?」と訊く。「変な質問だな」。「仕事に出かけるの?」。「ああ」。「今日?」。「休日の前に会うことになってる。1時間か2時間だ」。「いいわ、私一人ででかける」。「そんな意味じゃない。私には責任があるんだ」。「私やミリーに対する責任は どうなるの?」。「もし、遅れるようだったら、メールするから、向こうで会おう」。クリスマス・イヴに仕事ででかけることが、なぜ妻の非難を浴びることになるのか、ミリーとは何者なのか、この時点では分からない。この暗い顔をした人物は、ある建物に入って行くと、資料庫からファイルを取り出し、職場で待ち続けるが、約束の時間になっても現れない(1枚目の写真)。映画では。この4分後になる別の場面だが、関連するので、一緒に紹介しておこう。実は、この人物、グースの保護観察官なのだ。グースは、いなくなった犬を必死で探していて、約束の時間を忘れてしまっていた。仕方なくグースのアパートまで出向くペンヴィル。玄関に出てきた祖母に、「由々しい事態ですぞ、ソーンヒルさん。グースに対する保護観察命令は、彼に定期的な出頭を義務付けています。実に、由々しき事態です」と警告する。グースは窃盗で補導され、保護監察処分になっている。出頭命令に従わなければ少年院送致だ。しかし、ペンヴィルを部屋に入れた祖母には、事態がまるで分かっていない。グースのためにランチのサンドイッチを作るといいながら、紙にバターを塗りたくるほど痴呆状態は深刻だ(2枚目の写真)。だから、2人の話は堂々巡りとなり、一歩も先へ進まない。ペンヴィルは、祖母には介護が必要だと思い始める。
  
  

時間的には少し遡るが、グースは必死で愛犬マットを捜し回っている(1枚目の写真)。だが、神隠しにあったように、どこにもいない。運河沿いまで来た時、そこに例の男がいた。運動靴の紐が解けて、男の前で転倒するグース。グースが紐を結んでいると、男が一言、「先金具」。「何だって?」。「靴紐の先端に付いている堅い物」。男は額を指し、「この部分の名前は 眉間。眉とつながっている。どんな物にも、名前が付いている。フクロウには、まぶたが3つ。すべて名前がある。名前だけじゃない。メル・ブランクの墓碑には、『これでおしまい』と彫ってある。コーラは、茶色じゃなく、緑色になっていたかもしれん。『ヒポポトモンストロセスキッペダリオフォビア』の意味は、『長い単語の恐怖症』だ」。この男は頭が変なのだと、去って行こうとするグース。男は、「何か 失くした?」と、初めて意味のあることを訊く。「そうさ。僕の犬」。「マット?」。「そう。見たの?」と期待するグース。「違う。君が『マット』と叫んでた」。がっくりするグース。そして、また行こうとする。「子供の頃、犬を持っていた」。グースは、「そう?」と生返事。男:「それとも、持っていなかったかな。確信が持てないことが多すぎる。たとえば、これ」。そう言うと、胸の名札を示し、「自分が、アントニーだとは思えない」と言う。「自分の名前、知らないの?」。「知らん。他のものが邪魔してる」(2枚目の写真)。「先金具とか?」。「そうだ。そして、君に会った」。「ああ」。「これは 何かのパターンだ。君が腕輪を盗んだからだ」(3枚目の写真)「彼女は腕輪を失くし、君は腕輪を盗んだ。君は犬を失くした」(4枚目の写真)「パターンなんだ!」。誰も知らないはずの秘密をいきなり男に指摘されたグースの衝撃は大きかった。
  
  
  
  

男から逃げ出し、フランクに相談に行くグース。そして、「一緒に会いに行って」と頼む。「何で 俺が行かにゃならん?」とフランクは断る。しかし、「パパなら、来てくれる」との言葉に、亡き父の元・親友としては、腰を上げざるをえなかった。男は、まだ運河沿いにいた。フランクは、この男と最初に出会った人物でもあるので、「おい、猿の天使は どうなった?」と声をかける。「分からん」。「こいつの犬に 何かしたのか?」。「してないと思う」。「その手首のものは?」〔男は、手首に犬の首輪の一部を巻いていた〕「犬から取り上げたのか?」。「なぜ、俺がそんなことをする?」。「見返りのため」。「あるのか?」。「ない」。「ならなぜ、俺がお前の犬を盗るんだ?」。「腕輪のこと、どうやって知った?」。「盗るのを見た」。「見たはずない」とグース(1枚目の写真)。「見たんだ」。「どうやって?」。「インド人の女性の手に触れると… 君が懐中電灯を持ち、腕輪は椅子の上。君が腕輪を盗った」。フランクは、「ちょっと、待て」と言い、「どういう意味だ。『見た』って?」と訊く。「ただ、見たんだ」。グースは、「分かった。見せてくれよ」と言い、フランクには、「手を出せよ。失くしたもの 分かるか試そう」と誘いかける。男は、「失くす… 全員が、何かを失くしている」と言う。グースは、乗り気でないフランクを手を、無理に男の手に接触させる。フランクのアパートの中は、整然としている。そこにフランクが帰宅しTVをつける。最初は新聞の方に熱心だったが、「なんでも鑑定」のようなTV番組で、フランクがたまたま愛読していた本に話が及ぶと急に興味を抱く。フランクの持っていたのは、オスカー・ワイルドの 『幸福な王子』 の初版本。ウォルター・クレインの挿絵付きだ。番組の鑑定士の『およそ4万ポンドですね』との発言に(2枚目の写真)、飲んでいたビールを思わず噴き出すフランク。2010年の4万ポンドは500万円強。宝くじに当たることを思えばそんなに巨額ではないが、金欠病のフランクにとっては大金だ。それから、フランクは、アパート中をひっくり返し、本捜しを始める。前にグースが来た時、室内が散らばっていたのはそのためだ。その時、フランクの手が離れ、男が「オスカー・ワイルドの 『幸福な王子』。1888年。4万ポンド」と言う。「それ、どこにある? どこもかも捜したんだ」。グースは、「こんなの、ただのおちょくりさ。あんたが失くしたってみんな知ってる」と否定的だが、フランクは「頼むよ」と言って、自ら男の手を握る。①まず、現れたのは、自分の娘に『幸福な王子』を呼んでやっている幸せなパパとしてのフランクの姿。②次は、妻がオーストラリアに移住したいと言い出し、破局を迎えるシーン(3枚目の写真)。「俺の娘を 地球の裏側に連れて行くのか?」。「お願いフランク、もう耐えられないの」。③そして、その直後、酔っ払おうと訪れたパブで、本を置きっ放なしにして出て行き、残された本を興味深げに見て(4枚目の写真)、持ち去る老人の姿。パブの従業員が、「お休みなさい、クラレンス先生」と声をかける。男は、開口一番「クラレンス先生?」と言う。それを聞いて、嬉しそうな顔のフランク。
  
  
  
  

クラレンスの家に直行する3人。フランクは、クラレンスを知っている。元医者で、今は廃業していることも。ベルを鳴らし、元医師が出て来る。「何でそんなに 嬉しそうな顔しとる?」。「もしかして、ちょっと前、パブで俺の本を 偶然持って行ったとか? 『幸福な王子』だ」。「オスカー・ワイルドか? 君が そんな物を持ってたとは 驚きだな」。「感傷的な意味があってね」。ここで、男が口を出す。「4万ポンドの価値もある」。元医師は、3人を家に入れる。廊下で、グースは、さっきまでとは正反対に、「大丈夫。プロフェッサーXが、見つけてくれる」とフランクを励ます。プロフェッサーXとは、もちろん、あの『X-メン』のボスだ。書斎に座らされたフランクとグース。本のコレクターでもある元医師が、挿絵付きの『幸福な王子』の初版本は確かに価値があると話すと、すかさずフランクが、「持ってる?」と訊く(1枚目の写真)。「なぜ 私が持ってると?」。その時、男が手を見せる。意味が分からない元医師。グース:「彼が、フランクの手に触った」「あんたが、パブで拾ったと言った」。「そこに いたのかね?」。「彼は、頭の中で見た。ホントなんだ」。男が説明する。「失くした物と、何か 関係があると思う。腕輪… 本… 犬。俺が会った人は、皆、何か失くしてる… あんた以外」(2枚目の写真)。その言葉を聞いた元医師は、男に手を握らせる。泣きながら女性が手紙を書いている。「愛しいレイフ、胸が張り裂けそうです… このまま 続けることはできません…」に始まり、「耐えられないことに、私たちの距離は… 信じて下さい。私が何も好んで… 私の心はあなたのものでした、レイフ」で終わる長文の「別れ」の手紙だ。彼女は書き終わると、それを暖炉の上の写真立ての前に置き(3枚目の写真)、そのまま身一つで家を出て行った。ドアが閉まった衝撃で、手紙は下に落ち、暖炉の隙間から床下に入り込んでしまう。「まだ、そこにある。床板の下だ」。「何のことやら…」。「任せるがいい、もし最善を望むなら」。その言葉に頷く元医師。男の指示でフランクが床板を剥ぐと、中には1通の手紙が落ちていた(4枚目の写真)。手紙を渡され、「妻からだ。何も言わずに出て行ったと思ってた」と言い、手紙を読む元医師。彼は。「私は頑固だった。如何に愛しているか言えないほど頑固だった。彼女は、私にとってすべてだと言えないくらい」と言って泣き崩れる。しかし、これで元医師のわだかまりが解け、ある意味、幸せになったことは確かだ。元医師は、「これは 天の配剤だ。本は玄関にある。電話機の横だ」とフランクに告げ、男には、「君は何者だ?」と訊く。「俺が知りたい」。玄関で必死に本を捜すフランクに、男は、簡単に見つけた本を渡してやる(5枚目の写真)。家から出た所で、グースは、「腕輪を返すんだね?」と男に訊く。「そしたら… あんたが、マットを見つける」。「そう思うか?」。最後の言葉は重要だ。つまり、「腕輪を返せば犬も帰って来る」とグースは思い込んでいるが、男は保証していない。
  
  
  
  
  

フランクたち3人は、彼が以前暮らしていた家の前にやって来る。グースは、「で、何するの?」と訊く。フランク:「本を見せて、負け犬じゃないと証明する」。男:「彼女は、あんたが負け犬だとは思ってない」。「なんで分かる?」。「いい父親だと思ってる。見たんだ」(1枚目の写真)。その言葉に励まされ、別れた妻の家のドアの呼び鈴を鳴らすフランク。驚く元妻に、「これ何か知ってるか? 4万ポンドの価値がある。この本、どうすると思う? 君にやる。オーストラリアに行けよ。新しい生活が始められる。それが望みだろ」。そして、「クリスマスおめでとう」と付け加える。「寂しくなるな」、とも。感激した元妻は、「中に入って。話し合いましょ」と誘う(2枚目の写真)。復縁のサインだ。フランクは、「ちょっと待っててくれ」と言うと、グースの所に行き、「150ポンドある。全部やる」と全財産を渡し、「腕輪は もう売った。奴から ひったくられるな。40ポンドしかもらってない」とアドバイスする。「40ポンド? でも、100ポンドくれた」。「誰かが、お前の面倒見なきゃいかんだろ?」。フランクは、男に「ありがとう」と言い残し、元妻の家に入って行く。
  
  

次は、腕輪を買い戻さないといけない。フランクが故買屋と知りながら買い取った店に、2人は入って行く。男の呼び掛けに、「ただいま 伺います」と低姿勢で現れた店主。グースの姿を見るなり、見下したように「何の用だね?」。「腕輪を買い戻したい。フランクが売った奴さ」(1枚目の写真)。「そんな人物は 知らんな」。「知らない?」。「知らん」。そして、「2人とも出て行け」と強く出る。グースは、ポケットのお金をみせて、「買うと言ったんだ」。「いったい 何の話をしてる?」。「じゃあ、警察に電話しようか。あの旅行用時計、入手先を話すぞ」(2枚目の写真)。「言ってくれるな。領収書は取ってあるぞ」。「それはどうかな。あれは、僕がアシュフォード通りの家からもらってきた奴だ」。「出てけ。即刻 出てくんだ」。「懐中時計は? その、大ジョッキは?」。そう言うと、グースは本当に警察に電話する。「911です。ご用をどうぞ」の音声が流れる。遂に降参する店主。「もう売った」。「嘘だ」。「もう ないんだ。もちろん、誰に売ったかは思い出せるだろう… 妥当な金額で」。どこまでも、食えない男だ。「いくら?」。「それ全部だ」。40ポンドで買ったのに、売主を教えるだけで150ポンドも取るとは、強欲の塊だ。それでも、グースは、腕輪が欲しいので全部渡す。「いい子だ」。その時、男が店主にさっと近付いて離れる。「さあ、話せよ」。「オレンジ色の花束を持った女性に売った」。「それだけ? 150ポンドで、それで全部?」。「知りたがったのは君だろ」。詐欺みたいなものだ。しかし、ここで、男が「大丈夫、俺が知ってる」と言って、グースを引き立てるように店を出る。店主が、召し上げた150ポンドを見ようとポケットに手を突っ込むと、出てきたのは、男が持っていた「片方だけの靴下」だった。じつに爽快。男は、ちゃんと全額グースに返してくれる。
  
  
  

男が、「知ってる」と言ったのは、グースを早く連れ出したかったからで、実際には、店に来る途中で、「オレンジ色の花束を持った女性」がバスに乗るのを見ただけだった。仕方なく、同じバス停から、同じ47番のバスに乗る2人。出会えるチャンスはゼロに近い。グースは、「クリスマスだ。どこにだって行ける」と懐疑的。男:「花束を持って行く場所は限られてる」。グース:「クリスマスだろ」。「花束は要らん。会える」。「多分 無理だ。このバス 街中通るだろ」。「街中見て回る気なんか ないだろ?」。ここで、あきらめて、話題を変えるグース。「どんな感じなの… 失くしたものを見るって?」と質問する。「夢をみてるみたいだ。自分の夢じゃなく、他人の夢だ。そこにいるべきじゃない… 侵入者になった気分だ」。「楽しくないね」。今度は、男が質問する。「フランクって誰だ?」。「彼は叔父さん… みたいなもの」。「みたいなもの?」。「彼と、パパは友だちだった。ロンドンの学校時代から。大人になると、2人とも消防士になった。でも、何かが起きた。何か悪いこと。フランクは、話してくれなかった」(1枚目の写真)。その時、グースが花束の女性を見つける。すぐにバスを降りる2人。そこは教会の墓地だった。グースと両親もそこに埋葬されている。男が、ここで奇妙な話を始める。「昔、トマス・エジソンって男がいた。彼は暗闇が嫌いだった。ウォルト・ディズニーという男がいた。彼はネズミが嫌いだった。トマスは暗闇が嫌いだったから電球を発明した。ウォルトはネズミが嫌いだったから世界一有名なネズミを生み出した」。「何が言いたいのさ?」。「自ら 先に進まなくちゃいけない時もある。そうすれば、問題を避けることができる」。「パパには 避ける途がなかった」(2枚目の写真)。かなりシリアスな話し合いだ。男の話の内容が、かなり筋の通るものになってきた。
  
  

2人が追って来た女性は、オレンジ色の花束を、「ミリー」と書かれた墓碑に供えていた(1枚目の写真)。イヴが命日なのだ。女性が教会に入っていった後で、墓に近付き、死んだ日を見て、「同じ日だ」と言うグース。「パパとママが殺されたのと同じ日だ」。不思議な因果関係だ。女性を追って、教会に入る2人。「いきなり腕輪のことなんか、訊けないよ」と弱気なグースを尻目に、男はつかつかと女性に近付いていくと、いきなり手を握った。女性はペンヴィルの妻だった。朝起きて娘の寝室に行くとミリーがいない。キッチンに行くと裏口が開いていて、そこから覗くと、いつもは必ず鍵を閉めておく裏木戸が開いている。女性が心配になって捜しに行くと、ミリーは凍った運河の上で動けなくなっていた。急いで911に電話し、救助に2人の消防士が駆けつける。そのうちの1人はフランクだった。フランクは、踏むとピシピシと割れそうな音のする氷の上を、ミリーの方に近付いていく(2枚目の写真)。しかし、あと1歩というところで氷が割れ、ミリーともども冷たい運河に落ちてしまう。それを見て抱き合うペンヴィル夫妻。しばらくして、運河の氷面に開いた穴から顔を出したのは、フランクだけだった。こうしてミリーは死に、フランクは消防士をやめ酒に溺れるようになり、ペンヴィルは血も涙もない人間になってしまう。手を離すと、男は、「ミリー」とだけ言う。「たちの悪い冗談のつもり?」。グースが「腕輪。店で買ったでしょ」と訊く。「腕輪? なぜ知ってるの? あなたたち、誰? 私をつけて来たの?」。「そう」。「なぜ 後をつけるの? 何が望み?」。「僕のパパなら、ミリーを助けられた。パパなら救ってた。相手が誰だって」と話すグース。「いったい何を…」。「お墓を見た瞬間に分かったんだ。なぜ、あなたがいるのか」。そして、グースは男を見て、「彼は、すべてを元に… すべてが、あるべきところに納まるようにしてきた。本当なんだ」。そして、告白し始める。「僕は パパの鍵を隠した。隠さなかったら、パパは 別の道を通ってた。そして、別のことが起きていた。でも、パパとママは 死んじゃった。僕、そんなつもりじゃなかった」(3枚目の写真)。「自分が鍵を隠し→その結果父が死に→ミリーも死んだ」。二重の責任に打ちひしがれるグース。ようやく状況を理解したペンヴィル夫人は、裏木戸の鍵を掛け忘れた自分にも責任があると、グースを慰める。しかし。グースは続ける。「腕輪。僕が盗んだ。返さないといけない。でないと犬が戻らない。お願い返して。お金は持ってる」と頼む。夫人は、快く腕輪を渡そうとしたが、その時、「やめろ! その非行少年がどんな話をでっち上げたか知らんが、全くのでたらめだ!」と叫びながら、ペンヴィルが教会に駆け込んでくる。アパートで、グースを待っていても現れないので、ミリーの墓参に来たのだ。ペンヴィルはかんかんに腹を立てていて、グースが犬のことを話しても、端から相手にしない。そうした問答無用の夫の姿勢を初めて見た妻は、激しい口論になり(4枚目の写真)、はずみで腕輪が祭壇の蝋燭の中に入ってしまう。さらに続く夫婦の口論。その隙をつき、グースは燃えるロウソクの束の中に火傷覚悟で手を入れて、腕輪を取り出す(5枚目の写真)。そして、一目散に教会から逃げ出す。
  
  
  
  
  

グースを追いかけて行った夫のことは無視し、男と一緒に、腕輪の持ち主のインドの老婦人の家に向かうペンヴィル夫人。マンチェスターにしては珍しく雪が降り始める。呼び鈴に答えてドアを開ける老婦人。「あなたなの? 手に入れたのですか?」。「盗んだ少年が、返しに来る」(1枚目の写真)。2人を招じ入れる老婦人。男は、「庭に光を」と言い、イルミネーションを点灯させる。白色LEDで飾られた美しい庭を見ながら、男は、「ここで すべてが終わる」と言う(2枚目の写真)。その言葉を待っていたかのように、グースが壁を登って庭に入ってくる。そして、「ごめんなさい」と言って腕輪を老婦人に返す(3枚目の写真)。老婦人は、「コブラはシバなの。シバは破壊の神だとみなされているけど、そうじゃない。シバは、知ってるだけなの… いつ破壊したらいいかを。あなたが やり直すため… それで、世界がより良い場所になるように」とグースに説明する。グースは、「僕は、やり始めたくなんかない。ママやパパがいないのに。それに、僕がいると世界は良くならない。逆に悪くなる。僕がいなかったら、みんな生きてた」。悲しい言葉だ。グースは男に、「さあ、僕の犬を返せよ。腕輪は返した。マットはどこなんだ。約束したろ」と迫る。「そうか?」〔実は、約束などしていない→元医師の家から出てきた場面の最後を参照〕。「できないくせに約束したんだな。魔法なんかなくて、あんたは変人で、僕は施設送りだ」。「そうかもな」。「マットは、走ってて、轢かれたのかも」。「そうかもな」(4枚目の写真)。自暴自棄になるグース。「ママとパパが死んだ。子供も死んだ。そして今… 僕らが残った。一人ぼっちで。失くしたものは返ってこない」。男は、「だが、多分、君は正しいことをした。きっと誰かが君に もう一度チャンスをくれる。手を出すんだ」と言う。「ただのトリックだ」。「グース、俺を信じろ。自分を信じろ」(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

男は、「今、俺は 名前を思い出した」と言い出す。グースは手を差し出し、手のひらを見せる。男も手のひらを見せる。グースの手には、先ほど蝋燭の炎で熱せられた腕輪をつかんだ時の火傷の跡がくっきり残っている。そして、男の手のひらには、全く同じ場所に、古い火傷の跡が(1枚目の写真)。それを見て、「こ_これって、何なの?」と眉を寄せるグース。男は、「分かるさ」と言うと、手のひらを重ねた。寒い冬の夜、男が寝る場所を探して、鉄道の煉瓦アーチの下に歩いている。そこには、ホームレスが集まっている。空いている場所を見つけて横になる男。フラッシュバックで男の過去が見える。「彼は手品師で道化だった」「泥棒で悪人だった」というナレーションとともに、失敗の人生が映し出される。そして、最後に辿り着いた橋の下で、男は、隣で凍える青年に声をかける。「ここは、初めてか?」。「今日、失業した。ママは僕を追い出した。役立たずだと言って。パパと同じだと」。そして、さらに、回想は過去へと進む。ハイティーンの頃。独房に収監されている。そして、ナレーションが、男が父から授かった名前は「グース」だったと明かす。施設で暮らす少年時代のグースも出てくる(2枚目の写真)。「グース」という名前が、冷やかしの対象になっている。「ース、ース、ズのズ野郎」と何度も嘲笑われる。そして3度目の橋の下のシーン。自分の厚い上着を脱ぎ、「お前のを寄こせ」と、青年の薄い上着と交換してやる男(3枚目の写真)。青年を可哀想に思ったからだ。青年の着ていた服には、「やあ、私は、アントニーです」という札が付いている。夜になって降り出した雪。凍てつくような朝となり、薄着に着替えた男は凍死していた(4枚目の写真)。少年のグースの前に現われたのは、少年院送りになり、すさんだ生涯を送り、最後の最後に、青年の命を救って凍死した未来のグースだったのだ。
  
  
  
  

舞台は再び、1年前のクリスマス・イヴに戻る。どこかでキャンキャン鳴く犬の声で、グースが目を覚ます。しかし、グースは、さっきまでインド人の老婦人の家に男と一緒にいた。その記憶は鮮明に残っている。それなのに、なぜか普通にベッドで目覚めた。「何か変だ」という思いが顔に表れている。対比のため、右側に映画の冒頭のシーンを示すが、表情は明らかに違う。
犬の声がはっきりと聞こえる。いなくなったマットの声だ。キッチンにいる! 急いで降りて行き、ドアを開けると、何とそこには両親と祖母がいた。目を疑うグース。思わず、「僕、夢を見てるの?」と訊く。それに対する父の返事は「多分な」。グースにとっては、両親は死んでいるはずなので「夢」と思い、一方父は、グースが欲しがってた犬のことを言っているのだと思う。グースは、さっきまでの「現実」が、あまりにもリアルに記憶に残っているので、まだ信じられない。「ホントは、いないんだ… でしょ?」と、口に出してしまう。この「いない」という言葉も、グースは両親のことを言ったのだが、両親は犬のことを言ったのだと思っている。一方、映画の冒頭では、「犬の声 聞いた」とグースが訊き、「そうか? 外だろう」と父がとぼけ、グースが振り返って見るシーンだった。特に1枚目は、全く同じ構図だが、表情は全く違っている。

その後で、母が、「明日まで隠しておくつもりだったけど、あなたに早く会いたかったようね。クリスマス、おめでとう、坊や」と言って犬を見せる。ここは全く同じ展開。しかし、その時に見せる、安堵しきった、目を伏せたグースの表情がとてもいい。子犬だった頃のマットの姿を見て、この瞬間が夢ではなくて、現実なのだと悟ったのだ。この場面には、対比すべき写真はない。

グースは、犬を撫でながら「マット」と呼びかける。それを聞いた父は、「何だ、もう名前が付けてあったのか」と驚く。「うん」。そして、目を輝かせて「マットだよ。そういう名前なんだ」と嬉しそうに話す。映画の冒頭では、祖母が「何て呼ぶことにする?」と訊き、「決めてない」とだけ答え、後は、犬と一緒にじゃれているだけだ。

  
父は、「じゃあ、行こう。何か 着て来るんだ」と声をかけるが、グースはパジャマ姿のまま犬を撫でている。あれほどまで、マットを捜し回っていたのだから当然だろう。そこに電話が掛かってくる。グースは、「夢」で同じことを体験しているので、平然としている。一方、映画の冒頭では、着替えをしてきて、散歩がダメになり、グースはがっかりしていた。2人の対応は正反対だ。
父の車のキーが見つからない。グースは、真っ先に、クリスマス・ツリーの脇の机の上に置いてあるキーの所に行き、父が、「グース、キーを…」と言いかけた瞬間に鍵を渡す。冒頭のシーンでは、グースがキーを隠してしまう。一方では、父は自分の車で出かけ、一方では母の車に同乗し2人とも死亡する。運命の分岐点だ。

この「分岐」は、他にも大きな差をもたらした。人命救助に失敗したことのない父は、ミリーの救出でも、低い姿勢で接近し、無事ミリーを助けることに成功する。フランクはサポートの側にまわっている。成功して喜び合ったのは、ミリーのペンヴィル夫妻だけでなく、父とフランクもだった。その結果、ペンヴィルは暖かい人間となり、フランクは消防士を続け、家庭が崩壊することもなかった。右側の写真では、グースの父が死に、フランクが代りにミリーを助けようとしている。姿勢が悪く、氷が早く割れ、助けられなかった。


そして、映画は、グースが家族3人と愛犬のマットに囲まれて、クリスマスを幸せに過ごしているシーンで終わる。これは夢だったのか、それとも、年老い絶望の淵にあった未来のグースの行った唯一の善行が、過去の過ちを修正する奇蹟をもたらしたのか?


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